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島 左近

天文九〜慶長五年

名は勝猛。石田三成の家臣。出身は対馬・畿内と言われるが詳しくは不明。 
筒井順慶、羽柴秀長、豊臣秀保らに仕え、その後石田三成に一万五千石で召抱えられる。 これは、当時の三成の石高のうち4割近くを与えられたことになる。 1600年の関ヶ原の戦い前日での杭瀬川の戦いでは、兵五百を率い見事な策を用いて完勝した。 関ヶ原の戦い本戦においては、小早川秀秋の裏切りを皮切りに西軍は総崩れとなり、 左近は、正面の田中吉政・黒田長政らの軍に突撃し、奮戦した末に討討ち死にした。 ”冶部少(三成)に過ぎたるものが二つあり 島の左近と佐和山の城”と謳われるほどの人物であった。

名言  すでに時、失いたり
軍旗

花押

家紋

肖像画-行田市郷土博物館蔵 自筆署名-花押戸川家記念館蔵