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真田幸村

永禄十年〜元和元年

真田真幸の二男。本名は左衛門佐信繁。天正十五年、豊臣秀吉の近臣となり、大谷刑部吉隆の娘を娶る。関ヶ原の戦いで、兄信行と別れ、父と西軍に属する。上田城において徳川秀忠軍を迎え、 散々手こずらせて、秀忠軍の関ヶ原遅参の手柄を立てるも、西軍敗戦後、高野山麓の九度山で蟄居生活を送る。慶長十九年大阪冬の陣において、秀頼の要請に応え、大阪城に籠城。真田丸で徳川軍を苦しめる。翌年、夏の陣も活躍し、「日本一の兵」と天下に名を轟かせる。 茶臼山の戦いで壮絶な最後を遂げる。 

名言一旦の約束の重きことを存じて較ぶれば、信濃一国は申すに及ばず、日本国半分賜ろうともひるがえがたし

軍旗

家紋

花押

肖像画-真田博明氏蔵鉄地二枚胴具足-大坂城天守閣蔵