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河井継之助

1827〜1868

長岡城下に生まれる。藩校の崇徳館などで朱子学や剣術などを学び、陽明学にも親しむ。
1853年に江戸へ出、佐久間象山などに学ぶ。57年に家督を相続。 1856年に藩主に随行し上洛する その後、藩政改革に着手、郡奉行、町奉行などを務め、風紀粛清や農政改革、灌漑工事、兵制改革などを実施  1857年、幕府が消滅し戊辰戦争が始まるとガトリング砲などの兵器を購入し長岡へ帰還する。 武装中立を主張し調停を行うも決裂。これにより奥羽越列藩同盟に加わり新政府軍と戦う。長岡城を奪われるも八丁沖渡作戦により奪還。このとき流れ弾を受け、負傷。会津藩領へ落ちのびる途上傷がもとで破傷風を起こし、死去。 

名言 天下になくては成らぬ人になるか、有ってはならぬ人となれ、 沈香もたけ、屁もこけ。 
牛羊となって人の血や肉に化してしまうか、豺狼となって人間の血や肉をくらいつくすかどちらかとなれ

座右の銘

呻吟語鈔

太政官建白書草稿

継之助終焉の間

座右の銘-長岡市立中央図書館蔵 継之助筆写-呻吟語鈔-長岡市立中央図書館蔵 
継之助終焉の間-福島県只見町塩沢矢沢家 太政官建白書草稿-豊辺弘也氏蔵