黒田官兵衛
天文十五〜慶長九
官兵衛、如水の号でも知られる。 天正五年、信長の命を受けた秀吉の中国征討に従って戦う。 荒木村重のおりに説得の使者として赴くも捕らえられ翌年 救出される。この功により播磨一万石を賜る。 信長の死以降も秀吉の将として活躍するが、その才知ぶりに疎まれたともいう。 九州征討後、豊前六郡を与えられ中津を居城とした。 またシメオンという洗礼名も持っていた。
辞世の句 おもひおく 言の葉なくて つひに行く 道はまよはじ なるにまかせて
孝高所用銀白壇漆合子形兜-南部利昭氏所蔵肖像画-崇福寺蔵