石田三成
永禄三〜慶長5年
長浜市観音寺で修行中、近江長浜城主時代の秀吉に三献の茶を献じ、それがきっかけで6歳の頃から秀吉に仕える。以降、山崎・賤ヶ岳の戦い、小牧・長久手の戦いに従軍。 天正十三年に従五位下治部少輔に叙任される。 文禄の役では、船奉行として渡海し、明軍との交渉にあたった。慶長三年、豊臣政権五奉行の一人になる。が、秀吉死後は家康と対立。関ヶ原の戦いで西軍の主力として戦うが、敗れ、斬首される。
名言 大儀を思う者は、たとえ首をはねらるる期までも命を大切にして、 何卒本意を達せんとおもふ