1846年に会津松平家の松平容敬の養子に入り、1852年に会津藩を継ぐ。 1862年に新設の幕政参与に任ぜられ、のち親切の京都守護職に就任する。 容保は会津藩兵を率いて京都へ上洛し、朝廷との交渉を行い、
新撰組などを使い上洛した14代将軍徳川家茂の警護や京都市内の治安維持にあたる。彼自身は公武合体派で尊王派と敵対し、1864年の禁門の変などで、長州藩の勢力排除に動いた。1867年に江戸幕府が消滅すると京都守護職は廃止された。 容保は会津へ帰国し、家督を譲り謹慎を行なう。容保は幕府派の重臣と見られて敵視され、戊辰戦争では奥羽越列藩同盟の中心として新政府軍と抗戦して会津戦争を行い、篭城する。 その後、鳥取藩に預けられ、東京に移されて蟄居するが、まもなく許され、正三位まで叙任した。